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グローバルクラスでは、海外帰国生など英語を話せる生徒とこれから英語を学ぶ生徒、どちらも共に学ぶことが可能です。英語の授業は最初からレベル別授業を実施し、卒業までにC1レベルの英語力を目指します。
本科クラスでは、PBL(problem based learning)型の授業を徹底します。教師はファシリテーターとして存在し、生徒は思考することの興奮・発表することの達成感・解決することの歓喜の中で成長し続けます。
各界でご活躍のみなさんですが、今の職業に就こうと思われたのはいつ頃ですか?
明石子どもの頃から動物が好きで、親に内緒でハムスターを飼ったことがあって…。その時、獣医になって小さな命を助ける人になりたいって思ったんです。
櫻井私は好きな英語を活かして社会貢献したいと、大学で語学力を高め、留学先の大学院で途上国の教育を考える研究を行いました。教育とか、子どもに思考が傾いたのは、子どもの自爆テロのニュースもきっかけでした。彼らはそれを正義と教わり命を捧げますが、つまりは教育が変わらないと戦争はいつまでも続くのです。教育の機会がないと貧困からも抜け出せない。そう考え国際NGOで今、世界の子どもたちの支援を行っています。
得意なことを活かして社会貢献したいという夢を育み、夢を叶えて
竹内憧れは専業主婦でしたが、和洋の先生に「これからは女性も社会に出る時代。自立できる夢を持ちなさい」と言われ、私は考え直したんです。ならば好きな生物学を活かせる職業はないかと大学で学ぶうちに、ウイルスに興味を持ち、研究職に辿りついたんです。
田中医者の家系で、私はなんとなく医者になるだろうと思っていました。ただ勉強が特別できるタイプでもない私が、医者になれたのは、素直な和洋生に囲まれていたからだと思います。純粋に夢を語る友人に恵まれ、私は道を外さず女医になれました。
明石そう、私も和洋だから獣医になれたと感謝しています。先生方は成績に関係なく、まずは自主性を応援してくれて。勉強が楽しくなるようやさしく指導してくださったおかげで、諦めることなく、子どもの頃からの夢を叶えることができました。
竹内和洋生は個性豊かで、文系理系と関心があることもさまざま。いろんなバックグラウンドを持った人たちと互いに高め合える環境だったよね。多様な人々の中でコミュニケーション能力や社交性も自然と身につきました。だからこそ決してエリートではない私も、各研究機関で良好な人間関係を築き、研究者として成長できているんだと思います。大学では共同研究が多く、研究者には意外とコミュニケーション能力が求められるんですよ。
櫻井中高一貫で中1から高3まで、年齢差が6歳もある校内では、女性としてこうありたいと思う理想像が身近にあったよね。縦や横のつながりが活発で、私が慶應義塾大学を受験することになったのも、1つ上の先輩の合格体験記を読み、その先輩に憧れたからです。直接受験のアドバイスもいただきました。
どんなことにやりがいや手応えを感じて、仕事をされていますか?
田中手術の中でも特に難しいとされる心臓血管外科の道に進んだのは、困難な方がやりがいがあると考える私の性分だからでしょうね。女医が少ない分野で、道を究めたいと思っています。現在は研修医のまとめ役として病棟を管理し、手術の助手もする特に忙しい時期で、毎日毎日命と直面し、結構気が張りっぱなしです。だから、こんな風に和洋の仲間から別の世界の話を聞けるのはいい気分転換になります。医学部の仲間とは違う時間が過ごせるんですよね。
櫻井私は現在、シリア紛争を担当しています。騒乱により難民になったり、精神や肉体を病む子どもたちのために、どんな人や物の支援が必要か、予算を含め調整しています。
明石世界が違い過ぎるよね。話を聞いても現実とは思えない過酷な状況で、あの無邪気に笑い合っていた友人が、そのど真ん中で活動していることもどこか嘘みたいです。
櫻井現地での活動には危険もあるけど、マニラでは読み書きできなかった18歳の少年が小学校に入学したいと、6、7歳の子どもに交じって勉強を始めたり。そういうのは、思いが伝わったと実感できる嬉しい瞬間です。
竹内千陽も、サクラも、なつきも、命や心に直結した責任のある仕事だよね。私の場合は、大学でウイルスの起源や存在理由など、ウイルスの根源的な研究を行い、その延長線上にあったのがAIDSウイルスのHIV。基礎研究なので実験で直接、人の命を救うわけではないけれど、医療の進歩には必要となる研究と誇りを持っています。
田中そう。近年はフィールドの異なる専門家が集まる共同研究が、ますます注目されているよね。医者の視点にはない発想や視点が、医学の発展につながることが少なくないんです。
和洋九段で培われた協調性は、実社会でとても役立ちます
明石動物病院でも、結局は獣医ひとりの力で命を救っているわけではないんです。相手は物言わぬ動物たちで、食欲がない、歩き方がおかしいと、症状から病院に連れて来られます。そこで頼りになるのが動物看護士を含めたスタッフの詳細な観察力。彼らのふとした気付きから根本原因が突き止められることもあります。そうした協力を得るためにも、獣医としての技量以上に協調性って重要なんですよね。
竹内その点、私たちは管弦楽部出身だからね。輪から外れるといい演奏にならない吹奏楽は、周りに気を遣う共同作業。そのバランス感覚が今も活かされているのかもね。
田中私は水泳部だけど、部活を一生懸命やっていると、今は部活、今は勉強の時間と、集中力が増すかも。受験勉強真っ只中の高3で懸命に練習した「扇の舞」も懐かしいね。
女性たちの働く環境を私たち世代が率先して改革していかなきゃ
竹内女性研究者の働く環境も徐々に良くなっていて、子どもを持った女性研究者だけが申請できる研究費なども増えています。周りの風潮に流されず、そういう支援制度を堂々と使える日本になるよう、率先して私も制度を使っていきたいと考えています。私たち世代が時代を改革していかなきゃね。
田中女性の社会進出に対し、周りの意識が変わってきたり、制度が整ったり、日本は遅れていても今はその過渡期にあるんでしょうね。だから私たちもこうありたいと、欲張りに理想を追い求めていっていいと思うんですよね。
明石頑張ったその先には、ゆったり南の島で長期休暇っていうのもやってみたいよね。
そんな皆さんの基盤になっている、和洋九段はどんな学校でしたか?
明石大げさだけど、家族みたいだったよね。コンクールの前以外は、基本的に日々楽しくのんびり過ごしていて。闘争心とかライバル心は無縁でね。先生方は生徒がやりたいことを常に尊重してくれて、生徒も素直に自分たちのカラーを作っていける環境でした。
櫻井女子校ならではの大らかな学び舎だったよね。男子がいないから自分を装ったりしないし、すくすく個性を伸ばすことができました。
竹内理科室は、教材の撮影場所になるくらい設備が整っていて、建物も施設も何でも清潔で充実していたよね。プールは温水だったし。自主活動で2年かけて書いた論文は、高3の時、受験に大いに役立ちました。それと私が生物を好きになったのは、生物の話を凄く楽しそうに話してくれた生物の先生のおかげでした。
あの女子校の日々があったから、今も頑張っていられる
田中つきあいは深いし、思い出が濃厚で、とにかく楽しかったよね。ホント、あの女子校の日々があったから、あの場所が私の根っこにあると思うから、今が大変でも頑張れるって思います。